今日は朝から私の倍近く生きられ、私の4倍以上稼がれている先生方(個人事業主)から
生き方に関して助言いただいた。
それは「遊びなさい」ということ。
これを言われたのは初めてではない。
この方のほかにも、少なくとも私の5倍以上稼がれている先生方(サラリーマン)、個人資産がすでに100億円以上の先生方(社長)などにも過去同じことをいわれた。
確かに、私には、生き急ぐ感じ、または余裕がなく鬼気迫る感じがあるのは認める。
それが仕事のパフォーマンス(周りとの温度差などで生じる軋轢や顧客のドン引き)に影響を与えるから、そのようなことを言われているのだと理解し、そこは柔軟に対応してきたつもりであった。
他にも、その人の成功の基準が「被雇用者としての成功」に主眼が置かれていているのだろうと推測し、主としては対処以上の意識を払わずここまできた。
ただ、本日「遊びなさい」を聞いたときに思い浮かべたのは、7つの習慣の鬼教官コーヴィー先生がいう公的成功、周りの人も幸せにしながら成功しなさいというものであった。
よくよく先生方がおっしゃった「遊びなさい」の中身を思い出してみると、「誰かと一緒に」または「誰かとかかわって」遊びなさいというものであった気がする。
なので、個人でする株の分析などは彼らの言う遊びには含まれていない。そう考えると、そういえば近頃遊んでいないのである。
確かに、年を重ねるにつれ、遊ばなくなったし、すべてが仕事上の個人スキルをいかにブラッシュアップできるかの延長に置くようになった気がする。
つまり、自分至上主義だ。いろいろな大義名分は持っているつもりだが、それでも現時点でやっていることは自分のレベル上げである。それを見透かされていたのではないか。
彼らが言いたかったのは、「周りの人を幸せにする」の大前提である「人との関わり」をおろそかにするな、ということだったのではないか。
耳が痛い話である。
彼らの貴重な時間の投資から主に「公的に成功してほしい」という願いを感じるだけでなく、同時に主が「公的に成功しないなどありえない」というプレッシャーもあることに気づき、彼らの笑顔を思い出すと、寒気がした。
彼らにとっても私との会話は公的な成功の一つである周りを幸せすることだったのではないか。
気づけて良かった。これは緊急ではないが重要なことだ。
あたりまえだが、ほかのアウトプットの質を落とす気もないので、人生に必要な時間はさらに増える。
心穏やかに、甘えを捨て、自分の領域を極めるのみ。